
フランス料理の第一人者、
三國清三さんの若い頃のお話です。
三國さんは昭和29年生まれ。
15歳で札幌グランドホテルの厨房に入り、
わずか数年で花形シェフになります。
その後、札幌のホテルの料理長の紹介で帝国ホテルへ移り、料理の頂点を目指します。
当時の帝国ホテルの総料理長は村上信夫さんでした。
三國さんは最初の日に、村上さんから
「鍋でも洗ってもらおうか」
と言われました。
三國さんは「札幌の人気シェフ」のプライドを捨て、
徹夜で鍋の取っ手のネジまではずして、きれいに磨き上げたそうです。
翌朝、村上さんは三國さんに
「キレイに洗えていたね」
と言いました。
三國さんが
「今日は何をさせてもらいましょう?」
と聞いたところ、
村上さんは
「そうだなぁ、鍋でも洗ってもらおうか」
と言ったそうです。
それから2年間、三國さんの仕事は、来る日も来る日も鍋をピカピカに磨くことでした。
2年後、三國さんは
「このままここにいても料理の腕は上がらない」
と思い、ついに辞める決心をしました。
そんな時、三國さんは村上さんに呼ばれました。
そして、
「来月から、スイスの日本大使館公邸の料理長をやってもらう」
と告げられたそうです。
当時、帝国ホテルには
600人の料理人がいたそうです。
「鍋洗いしかできない三國よりも、もっと優秀な料理人がたくさんいるじゃないですか!」
という周囲の声に対して、
村上さんは、
「鍋の洗い方や塩のふり方一つを見れば、
その人の人格やセンスがわかる。
技術は人格の上に成り立つものだ。
三國なら間違いない」
と言いきったそうです。
人格があってこその技術。
単に技術だけでなく、信頼される魅力的な人になりたいものです。
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